最近、大学不要論とか流行ってる(?)けど、それを子供に植え付けるのはダメでしょ。大学不要論は大人に唱えるものであって、子供に唱えるのは選択肢を奪うことになりかねない。と、親に大学院まで出させてもらった人間の考えを綴ってみる。
大学に行く必要はないとは思う
大学院まで出ておきながら、大学は必ずしも行くべきところではないと思う。というのも、大学というのは単位制で、自分で能動的に学んでいく場だから。高校生までは受動的に学ぶ場なんだけど、大学からは違う。何も学ぶ意思がないのに、大学に入るのは金の無駄。高い学費を親に払ってもらってバイト三昧ってアホだ。親に払ってもらっている学費を小遣いとしてもらってバイトしたほうが儲かるやん。
もし能動的に学ぶ意思が皆無で、まだ働きたくない、遊びたいというなら一流大学に入ってください。大学入試はある種の資格試験でもあるので、一定のレベル以上の大学に入るなら資格的な意味が生じる。ここでいう一流大学とは一般的にはMARCH関関同立以上または地方国立理系といったところ。最低限でもこのレベルの大学に入っておけば超就職氷河期と就活が重なっても自助努力でなんとかなる。でもあくまで自助努力。当然失敗する可能性も大いにある。
学歴不問の意味を取り違えるな
今は実力社会なので、どの企業も学歴は不問だと言っている。しかしこれはどんな大学でも平等に可能性があるという意味ではない。今までは大学名だけで内定を出していたけど、今は大学名だけじゃなくて個人の能力もちゃんと見るという意味だ。つまり、学歴採用よりもハードルが上がっている。それを学歴不問だからどんな大学でも平等にチャンスがある!と勘違いしていると痛い目をみる。これを覆すには能力が相当高い必要がある。それなら最初から一流大学に入るほうが楽だ。
大学不要論を自分の肯定のために使うな
大学不要論は、「僕は大学に行かない!ベンチャー企業でプログラマーになる!」「僕は高校卒業したらそのまま起業する!」といった大学を飛び越えて世の中に飛び出そうとしている子供のために存在するものだと思ってる。親が「とりあえず大学は出ておきないさい!」といった主張から子供を守るためのもの。でも親が「大学なんて行っても無駄だから行くな」なんて言い方をするのはマズイ。そこは本人が決めるとこでしょ。
もちろん経済的な理由で大学を諦めてほしいケースもあると思う。それならばそうとはっきりと言うべき。大変だが奨学金を使うという方法もあるし、国公立大学に実家から通学すればバイト代でかなりカバーできる。決して「お金がもったいないから」、「自分が貯金できないから」という理由で小さいころから子供に大学不要論を植え付けるべきではないと思う。あくまで本人がどうしたいか、それだけ。
そもそも自分の意思で大学行かないならともかく、他人の意見に従って大学行かなかっただけの人間が学歴のハンデを背負って社会に飛び出しても失敗するに決まってる。あくまで本人の選択肢を尊重して支援するというポジションでありたい。
おしまい。