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努力して障害を乗り越えろという風潮は危険だと思う|NHKが24時間テレビを感動ポルノと批判

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NHK バリバラ

今年も日本テレビの24時間テレビが終わりました。今年は放送時間内にマラソン完走できたみたいですね。視聴率等はこれから出てくるのでしょうが、まあ、例年通りの盛り上がりだったのではないでしょうか。そんな中、NHKがやってくれたと話題に成っています。24時間テレビの放送時間帯にNHKが24時間テレビを痛烈に批判する番組を放送したというのです。

 

NHKの番組バリバラ内で感動ポルノと批判

NHKのバリバラという番組が日本テレビの24時間テレビ放送中に、以下のような話題を放送したそうです。

  • 障害者を健常者が感動させるためのモノとして扱うことを感動ポルノと呼ぶ
  • 障害者の90%が感動ポルノ的な障害者の番組を嫌いと回答

NHKからすると、感動ポルノという問題について特集しただけという立ち位置なのでしょうが、これを日本テレビの24時間テレビの裏番組で放送するのは単なる偶然でしょうか?24時間テレビを名指しこそしていませんが、これは実質的に批判といって良いのではないでしょうか。

www.j-cast.com

 

なぜ24時間テレビを批判する人がいるのか?

次のようなエピソードで感動する人と違和感を覚える人がいるようです。

  • 努力すれば歩行障害があっても富士山を登れる
  • 努力すれば失明していてもダンスを覚えて踊れる
  • 努力すれば腕がなくても海峡を泳いで横断できる

人一倍の努力をしてできるようになったことに感動する人と、可哀想だと思う人がいるようです。両者の意見は結構対立するのですが、基本的にどちらも正しいはずです。が、前提条件が変わると一方が間違い、一方は正解になるのではないでしょうか。

  1. 本人がどうしても実現したい、やりたいことである
    → 人一倍の努力をして達成して感動
  2. 「あなたたちは障害があるから人一倍の努力が必要」「努力すれば叶わない夢はない」
    → 努力の押し付けで可哀想。洗脳ではないか?

日本テレビの24時間テレビが一部で批判されているのは、2番になっているのではないか?と感じている人がいるからでしょう。

 

障害者は努力して健常者と同等にならないといけないのか?

日本独特の美徳観が障害者を苦しめていないかどうか気になります。例えば甲子園の投手の酷使問題。甲子園では投手が連日連投で勝ち進むことを感動話としてテレビは放送します。連投で勝ち進んだだけならまだしも、甲子園の連投のせいで肩を壊し、野手に転向して頑張っていても感動話になります。冷静に考えれば、肩を壊した指導者の責任問題に発展しても良い話です。が、野球に限っては感動話になります。この問題の闇が深いのは、故障した選手が後悔も責任追及もしていないことです。本人も故障したのは自分のせい、チームのための自己犠牲と考えているケースが多いのです。これはある種の洗脳に近いものがあります。これと同じことが障害者に対しても起きていることを懸念しています。

  • 障害があるのは自分の問題
  • 障害があるのは自分の責任
  • 障害があるのだから、人より努力するのは当然

こんなことになっていなければ良いのですが。そもそも障害を持っているのですから、健常者と同じことができるように目指す必要ってあるのでしょうか?障害を乗り越えるのではなく、障害があっても影響のない方法で生きていけないのでしょうか?

というのも、僕は全く酒が飲めないのですが、それを努力して飲めるようになれと言われても不可能です。でもたまに飲めるようになれという人はいます。それどころか、飲めないと社会人失格とまで言う人もいました。障害者も同じ気持ちになっている人は結構いるはずです。障害があるから人一倍の努力が必要なんだぞ、と。これって意味が分かりません。努力しても無理なんですよ。僕も努力してもお酒を飲めるようにならないのは生物学的に証明されています。アルコールハラスメントがあるのだから、障害者に努力を押しつけるのもハラスメント、人権侵害だと考えます。

 

障害者は英語で何と呼ぶのか

昔、障害者は英語でハンデキャップと呼ぶと教わりました。英語では障害を持っているのではなく、人よりハンデキャップを持っていると呼ぶのだと。この視点は大事だと教わりました。が、現在はハンデキャップと呼ばないようです。現在は Disability が主流のようです。直訳すると、「能力がない」ですね。そうなんです、英語だと障害でもハンデキャップでもなく、今は「できない」なんです。これは乗り越えるものではないですよね。お酒が飲めない人でも酒を飲むのは自由です。が、飲めない人にお酒を飲ませるのはNGです。これが最初に説明した1番と2番の前提の違いでしょう。

 

まとめ

本人の意思で努力するのは応援するべきですが、やはり全ての障害者に努力すべきだと考えるのは危険だと思います。24時間テレビが、

  • 本人の意思を尊重していること
  • 本人に「障害は努力して乗り越えるもの」と洗脳していないこと

が徹底されているのかどうかは今の所分かりません。もしこの2つが守られていないのであれば、NHKの批判する感動ポルノに該当するでしょう。ただ、障害者に対して24時間テレビはプレッシャーを与えている側面はありそうですね。勇気をもらった人も相当数いるとは思いますが。

 

  

おしまい。